プロフィール

初めまして。

シルクペインティングという技法で絵を描いている太田久代です。

絵画というものは描いたことがなく、スケッチもヘタクソな私が、ふと出会った技法で

自分の知らない面を引き出してくれたシルクのおかげで、思いもよらない人生になったそんなお話を

自己紹介として書いてみます。

絵を描きたいけれど、デッサンなどは苦手。
趣味で楽しく絵を描きたい。
絵心がないけど描いてみたい。
自分に合う絵の描き方を見つけたい。
人に見せて自慢したい!
褒められたい!
プロをめざしたい!

そんな人たちに強くおススメの、簡単に始められて、描くのが楽しくなる、この技法をご存じでしょうか?

●マンガの好きな子供時代と海外へのあこがれ

私が生まれたのは兵庫県の西宮市。
車がいつも何台も入っている自動車修理工場の中が遊び場でした。

両親は、絵の話などしたこともないのですが、
雑誌や漫画の本はよく買ってくれました。

そのせいか、小さい頃は漫画が好きで、よくノートや広告の紙の裏にお姫様の絵を描いたり、
中学生の時はストーリーを作って友達と一緒にマンガを描いたりして遊んでいました。

また海外に興味があり、英語は好きな科目でした。
短大卒業後しばらくしてから、どうしてもアメリカに行ってみたくて、初めて行ったのがサンフランシスコでした。

この初めてのアメリカでの経験が引き金になり、その後も日本で働いては行き、
また帰って働くという形で、何度か長期滞在を繰り返していました。

その間は、小さなデザイン事務所で、地味な仕事をしながら、少しモヤモヤとした気持ちで暮らしていました。

色々なバイトをしていましたが、本当はフリーでデザイン関係の仕事をメインにしたかったのです。
でもそれだけではとても経済的に自立できる状態ではありませんでした。

また、アメリカの自由な生活を経験したことで、日本ではなく海外で働いてみたい思いもいつもどこかにありました。

 

●シルクペインティングとの出会いはニューカレドニア

そんな時たまたま見つけて応募し、採用になったのが、フランスのバカンスクラブのスタッフ。

念願の海外勤務!はじめてのニューカレドニアへと旅立ちました。

仕事は現地でのツアーガイド。忘れられないのはウベア島やイルデパンの、初めて見た海の色。
南国の絵を描くときはいつも思い出す印象的な場所です。

その頃は今のような絵を描くことは全く頭になく、仕事と南の島の生活を楽しんでいました。

何年か後に、シルクペインティングのインストラクターでこの場所に戻ってくるなんて、全く想像もしませんでした!

それから2年後くらいに、なぜか私にそのポジションが与えられ、再度ニューカレドニアへ旅立ちました。
やったこともないシルクペインティングを教えるために?です。

  ニューカレドニアのアトリエ ニューカレドニアのアトリエ

今まで教えていた人との引継ぎが確か2日間でした。

ひと通りシルクペインティングの描き方を教えてもらって、翌日からすぐにゲストの人たちに教えるという展開。

なので、以後はすべて独学です。

最初は不安で必死でしたが、慣れてくるとゲストがいないときに 自分の作品を作ったりできるようになりました。

まず私が魅せられたのは、日本では見たことのない鮮やかなブルーの色。他の色も、シルクに塗ると素敵な鮮やかな色ばかり。
私はすっかりこの技法が気に入って、パレオなど大きなものも描いたりしました。

シルクペインティングは、その前に少し見たことはありましたが、あまり気に留めなかったのです。

ニューカレドニアという素敵な場所で、こんなチャンスを与えてもらって今では本当に感謝しています。

帰国してからは、クラフトとしてスカーフなどを制作し、お店においてもらったり、手作りフェアなどのイベントに出したり、
ある時は、フランスのシルクペインティングを見るためにパリの見本市へ行ったり、家では毎日作品を作り続けました。

まさか画家になるなんてことは想像したことはなく、この頃はずっとお店での委託販売という形でしたが、
とにかくこれだけはどんな形でも続けていこうと決心していました。

●はじめて風景をシルクに描く~そして個展

そして、ある年の子供の日に、大人の私に母が買ってくれた水彩色鉛筆。
これが今につながる、私にとってはまたもや大きな変化と転機をもたらすことに!

水彩色鉛筆は初めて使うので、最初はいろいろなものを描いてみました。

そのうちパリや南仏へ行った時の写真をもとに描きました。

水彩の効果なのか、今まで風景を描いたことは一度もなかったのですが、
実際に見た好きな風景なので楽しくなってどんどん描きました。

その水彩色鉛筆で描いた風景を、シルクに描いてみたら?わりといい感じに。

そこで今まで描いていたスカーフなどのモチーフではなく、絵としてシルクに描いてみたんです。
パリのカフェや、南仏の可愛い村、裏通りのパン屋さん、お花屋さん、南の島の青い海など、その時の感動を思い出しながら。

描きたいものがいっぱいあってどんどん絵が溜まりました。ふと、個展をしてみようと思いました。

それからは貸しギャラリーを探す毎日。やっと場所も決まり、翌年に開催することになりました。

翌年は、あの阪神大震災が起こった年でした。

個展に出す30点ほどの作品が完成して、その日はちょうど作品の写真撮影の予定の日でした。

突然のものすごい揺れに、棚に置いていた作品が頭の上に降ってきて、バラバラになりました。
どこかにつかまらないと立っていられない程で、作品のことは気になりながらも

飛び散った破片を避けながら、とりあえず外へ出ました。

信じられない光景にしばらく立ち尽くしていましたが、少し落ち着いた時、絵の展示などしている場合?と思いました。
いや、でもまだ時間があるし、こんな時こそやってみようと思いなおし、予定通り開催することにしました。

春になって、個展は一か月延期になりましたが、周囲にまだガレキの山が残るギャラリーで初めての個展を開催できました。
家族や友人たちの協力で思ったより多くの方に見てもらえて、絵も思った以上に売れました。

新しい自分のお家に飾りたいと言う人。

この絵を眺めながらのティータイムが楽しみだと言う人。

大きな絵の前で1時間くらいじっと動かない人。

車で通りがかって自分の部屋用に3点も買ってくれた人。

色々な人の表情から、心配していた不安は消え、私の方が多くの人の元気で前向きな姿にパワーをもらった感じです。

やっぱり開催してよかった!

その後はこのギャラリーで働くことになり、絵も描き続けました。

個展をしたことで少し自信もつき、そのギャラリーでも作品の委託販売をさせて頂き、小さな作品が少しづつ売れていきました。

 

●シルクペインティングの画家になるという突然の選択

ある日のこと、私がシルクペインティングをしていることを知ったあるギャラリーから、作品を見たいという話を聞いたのです。

発端は、私のいとこが、通りすがりのギャラリーの絵を見て、私の絵を思い出したそうです。
それで中へ入って聞くと、展示の絵は、アメリカのシルクペインティング作家のものだということだったそうです。

せっかくなので、その展示も見たいし、さっそく自分の作品を持ってギャラリーへ行きました。

偶然にもその展示の作家は、私が個展をする前にたまたま、神戸のデパートでの個展の記事をみつけて
見に行った時のシルクペインティング作家でした。

そしてちょうど本人が来場していて、サイン会の最中でした。

作品を見せて話すうちに、想像もしなかった展開が。

このギャラリー専属で、プロとしてやってみないかということでした。

あまりにも突然で、そんなことは夢にも思っていなかったのでビックリしましたが
断ればそれっきりなのでその場で決断しました。

 

最初の予定の個展までは1年以上ありました。

それに向けて風景画の課題を出され、それぞれの絵の構想や、下絵のアイデアをまず出すことで、
開催するかどうか判断するということでした。

それからは必死で資料を集め、構想を練って、全部の下絵を仕上げました。
幸いOKが出て、今度は下絵をもとにシルクに描いていきました。

朝は仕事に行く前に描き、夜はテレビも見ず、深夜まで描き
何回もやり直したりしながら、夏から始めて,ちょうどクリスマスの日に30点の絵が完成しました。

全部が大きなサイズで描きなおしも大変でしたがなんとかやりました!

そしてデビュー展は大成功で、最初の展示の絵は完売しました。この時は本当にうれしかったです。

 

その後も、タヒチやハワイやキューバなど各地に絵の取材に行っては絵を描き、毎年何回か個展を開催させて頂きました。
ハワイでの取材では、両親も連れていくことができ、ちょっとした親孝行もできました。 

   

こんな生活が何年か続き、だんだんと自分の絵のタッチやオリジナリティの方向が決まってきたように思えます。

アルバイトもしなくてよくなり、絵に集中できて充実した日々でした。

元日から1年中ほとんど毎日絵を描いていました。

これが、私にとっては、シルクペインティングだったからうまくいったのかなと思っています。

アクリル画や油絵だったらたぶんプロの道へは進めなかったかもしれません。
むしろそんなことを考えるはずもありません。

スケッチもいまだに苦手で、取材に行っても写真を撮るだけで、スケッチはしないです。

 

そんな私にとって、シルクペインティングには自分の絵をよく見せてくれる魔法のようなものがあると思っています。

また、ほとんど知られていない技法で描いているということも
絵を見て興味を持ってもらえたのかもしれません。

今でも、版画の技法のひとつであるシルクスクリーンとよく間違えられます。

●生活が一転、パリでどん底、そして復活。

ところが、その後の個人的な事情や、環境を変えたいという思いもあり、フランスに住むことになったのです。

パリでは、グループ展に参加したり、個展も何回か開催しました。

   

少しは絵は売れたものの、とても経済的には厳しく、そのうちお金は減っていき、ついには家賃も払えなくなりました。

そんな時、個展をしたギャラリーのオーナーであるマダムのご厚意で、南仏の彼女のお家で暮らすことになったのです。
そのマダムは亡くなりましたが、私のフランスのお母さんとも言える人でした。

彼女のおかげで、南仏の町に着いた数日後には、その町の有名なワインの会社で絵を展示することが決まりました。

生活は幸い、次第に良い方向に向かい、この小さな町も気に入り、
マダムの家を出て、仕事をするための小さなアパートを借りることが出来ました。

そこは、窓から遠くにブドウ畑が見えるお気に入りの場所で、すっかりこの町の住人になった気分でした。

    

本当にいろいろなことがありましたが、なんとか少しづつどん底生活から抜け出すことができました。

パリへ移ってから15年、南仏へ行ってからは10年以上のフランスと日本の往復生活でしたが、

フランスで絵を描き、日本で個展というパターンで、毎年、日本各地のデパートで個展を開くことが出来ました。

フランスから日本に落ち着いてからは、シルクペインティングをもっと知ってもらうための活動を始めました。

私にとっては同じことを共有できる仲間が増えていくことが本当にうれしく
刺激を受けるのをいつも楽しみにしています。

●まとめ

初めて自分で個展を開いてから25年以上、何事も長続きした試しがないのに、これだけ長く同じことを続けられたのは
この技法が少し特殊で、自分に合っていたことです。

その上独学でやるしかなかったので自由に楽しみながらできたことが大きいのではないかと思っています。

もちろん、絵の描き方などは本を見たり、画家の絵を見たりして参考にした部分もありますが、

美大にも行ってないし、それほど美術というものに興味があったというわけでもありません。

展覧会によく行くという方でもありません。

 

シルクペインティングは、絵を描きたいと思えば、誰でも始めやすいし、ルールなんてありません。
最初は塗り絵の要領です。

かえって何も知らない方が個性を出しやすいです。

描けないなら、最初はマネすればいいのです。

絵を見て違和感を感じたら何度も描いて自分なりに学んでいけばいいのです。

技法はシンプルですが、結構奥が深いです。

これからも、もっと楽しく、絵を描く生活が身近になるように、そしてそんな仲間が増える事を願っています。

これから絵を描いてみたい人。
新しい趣味を持ちたい人。
自分も周りの人もハッピーにしたい人。
絵が好きな子供たち。

など、そんな方たちにシルクに描く楽しさを知ってもらえたらうれしいです。

ここまで読んで頂いてありがとうございます。

 

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